ハヤシライス

 スライスして、水にさらした玉ねぎをざるにあげ、水気をきちんと切ってから皿に盛り付ける。
 そこに和風ドレッシングをかけ、仕上げに鰹節をのせる。
 これを果たして料理といってよいのか、少し疑問が残る所ではあるが、手軽に作れるわりには美味しいので、 新玉ねぎが店頭に並ぶこの時期、アリスはこれをよく作る。
 だがしかし…
 「も、飽きた……」
 いくらおいしいといっても、ものには限度がある。
 この一週間、毎日この玉ねぎのスライスを食べ続けてきたアリスは、正直、見るのも嫌な位、これに食べ飽きていた。
 「かといって、残すわけにはいかんしなあ。」
 はあ、と溜め息をつきながらアリスはぼそりと呟き、キッチンの端っこに置いてある段ボール箱を恨めしそうな目で眺める。
 箱の中身はいわずもがなの玉ねぎ。またの名を母の愛。

 『あんた、ええ歳して独りなんやから、どうせ野菜とか、ろくに食べてへんのやろう。』
 そう言いながら、お煮しめやきんぴらなど、俗にいうおふくろの味な料理の入ったタッパを持って来てくれた母は、それらと 共に、ダンボールひと箱分の玉ねぎを置いていってくれたのだ。

 「おかんも極端やからなあ…」
 心配してくれる気持ちは嬉しいし、ありがたいと思う気持ちも嘘じゃない。
 が、いくら何でもダンボールいっぱいの玉ねぎは、独り者のアリスには多すぎる。
 しかも、新玉ねぎというのは、瑞々しい分、普通の玉ねぎのように保存が利かないものだ。
 ということで、ここ数日の間、アリスは玉ねぎばかりを食べ続ける毎日を送っている。
 もちろんアリスとて、それなりに工夫をして食べてはいるのだが、いかんせんレパートリーが少ないので、どうしても作るものが 偏ってしまう。
 だからといって、せっかく母が持ってきてくれた物を腐らせるのは、さすがに申し訳ない。
 「はぁ……」
 まだ当分、この生活が続くのかと思うと、溜息の一つや二つ吐く位は許されるだろうと思うアリスだった。

* * * * * * *

 「ほい。」
 「ほいって…」
 そんな言葉と共に、眼の前に置かれた皿を見て、火村は目を丸くする。
 皿の上にあるのは、てんこ盛りの玉ねぎのスライス。
 はっきり言ってこの量は、とてもじゃないが1人で食べきれるような量ではない。
 俺、何かしたか?
 そんなことを考えつつ、火村はアリスと皿を交互にながめまくってしまった。

 大阪府警での用事が思った以上に早く片付いてしまい、ぽっかりと時間の空いてしまった。
 そこで、ここ数週間、あまり顔をあわせることの無かったアリスの様子でも見に行くかと連絡を取り、此処へやってきたのだが、 まさかいきなりこんな大量の玉ねぎで迎えられるとは思っても見なかった。
 「……ベジタリアンになった覚えは無いんだが。」
 いくら何でも多すぎる量に、火村は控えめに抗議をする。
 「うっさい!文句言わずに食え。」
 が、常になく不機嫌なアリスに、いとも容易く一蹴されてしまった。
 どうやら今日のアリスはかなりご機嫌ナナメらしい。
 これ以上は何も言ってもダメだな…
 そう判断した火村は、黙って眼の前に玉ねぎに箸をつける。
 生玉ねぎの、舌に残る辛味と、シャリシャリとした歯ごたえは確かに美味い。美味いけれど。
 「こんなには食えんぞ。」
 ものには限度というものがある。
 いくら何でもこの量を1人で食べるのは無理だ。それにそもそも…
 「一体何で、お前の所にこんな大量の玉ねぎがあるんだ?」
 そう言う火村の視線の先には、キッチンの隅においてあるダンボール箱。
 箱の横には、玉ねぎという文字と絵。
 あれをアリスが自分で買ってくるとは、火村には思えない。
 「こないだおかんが来てくれた時に、持ってきたんや。」
 「………」
 アリスは箱を眺めながらぼそりと呟く。
 「俺のこと心配して持ってきてくれたんやろうけど、いくら何でも多すぎるっちゅーねん。」
 「そうだな…」
 アリスの言葉にそう答えながら、あの人ならやりかねん…などと火村は考えていた。
 彼の母親は、良くも悪くもおおらかで、大雑把な人なのだ。
 「俺かて、ここ数日色々工夫して食べてるけど、なかなか減らん。」
 そりゃあこんな食べ方では、箱いっぱいの玉ねぎは無くならないだろう。
 アリスは料理が全然出来ないわけではないが、食材に合わせて色々工夫できるほどの腕前はない。
 「あと、どれ位残ってるんだ?」
 「この一週間、頑張って食べたから、残り10個くらいやな。」
 箱いっぱいの玉ねぎを10個にまで減らしたのなら、たいしたものだ。だが、今の調子で食べていたら、 無くなるまで、後数日は掛かる。
 「しょうがねえな。」
 そう言うなり、火村は箸を置くと、そばに置いていたジャケットを掴む。
 「火村?」
 そしてそのまま、玄関の方に向かう。
 このまま火村は帰ってしまうのだろうか。
 「もしかして、怒っとる?」
 こんな事位で怒るほど火村が大人気ないとは思わないけれど、やっぱりちょっと不安になる。
 せっかく来てくれたのに、玉ねぎだけしか出さなかったのはヤバかったかな。などと、アリスは そんなことを考えながら、玄関に向かう火村を追いかける。
 「なあ、火村。」
 「こんな事くらいで怒るかよ。ちょっと買い物に行くだけだ。」
 「買い物?」
 火村の予想外の答えに、アリスがきょとんとした顔をする。
 やっぱり、玉ねぎだけでは足りないから、他のものでも買いに行くのだろうか。
 「惣菜を買いに行くわけじゃねえよ。」
 そんなアリスの考えなど火村には筒抜けだったのだろう。こんな事を言われてしまった。
 「だったら…」
 「いいから。俺が買い物してくる間に、お前は残りの玉ねぎ全部薄切りにしとけ。」
 「へ?…って、箱の中のもんか?」
 「他にどこかにあるのか?」
 「いや、無いけど…」
 箱の中には少なくとも10個は入っているのだ。とてもじゃないが、二人で食べきれる量ではない。
 「でも、全部って…」
 「いいから。俺が帰ってくるまでには全部切っておけよ。」
 火村はそのままバタンと、音を立ててドアを閉めると部屋を出て行ってしまった。
 アリスと大量の玉ねぎを部屋に残して。

 「なんやっちゅうねん……」
 一人残されたアリスは、火村が出て行ったドアの前でしばらく途方にくれた後、 おもむろにキッチンに向かう。
 あの量の玉ねぎを切ってしまうのは、自分にとってはけっこう時間の掛かる作業なので、 今から取り掛からなければ火村が帰るまでになんて出来そうに無い。
 「でもあいつ、これで何する気なんやろう…」
 玉ねぎの皮をむきながら、アリスはぼそりと呟いた。

* * * * * * *

 「何だ、泣くほど寂しかったのか?」
 「アホなこと言うな!」
 火村の言葉に、大声でそう返したアリスの目は真っ赤になっている。
 もちろん火村がいなくて寂しかったからではなく、大量の玉ねぎを切った結果、こうなってしまったのだが。
 「一人にして悪かったな。」
 言っている言葉は優しいが、それをいう火村の顔は完全に面白がっている。
 「ええ加減にせんとしばくぞ…」
 ぼそりと、アリスにしては珍しいドスの聞いた声に、火村はきしし、と笑って返しながら、スーパーの袋を テーブルの上にどさりと置く。
 「何、買うてきたん?」
 アリスは火村に問い掛けながら、袋の中を覗き込む。
 「これだよ。」
 そんなアリスに、火村はひとつずつ、見せながら袋から出していく。
 まず、ローリエの葉っぱに、マッシュルーム。それから牛肉の薄切りとトマトの缶詰。そして…
 「ハヤシライス?」
 「そう。」
 火村が最後に取り出したのは、ハヤシライスのルウ。
 「美味いの作ってやるから手伝え。」
 そう言って、にやりと笑う火村を見ながら、せっかく作ってくれるのなら、もうちょいええ感じで 笑えんのかと、心の中で突っ込んでしまうアリスだった。

* * * * * * *

 「これ、ホンマに全部使うんか?」
 「全部使う。」
 自分の切った玉ねぎを指差しそう問うたアリスに、火村はキッパリと言い返す。  アリスがそう言うのも無理は無い。なにせ彼の家で一番大きなざるからはみ出しそうなほど大量なのだ。
 「いくら何でも、この量は鍋に入りきらんぞ。」  いくら家で一番大きな鍋を使うといっても、所詮男の一人暮らし。この量が入りきれるほどの大きさは無い。
 「大丈夫だよ。」
 火村はアリスの言葉を気にする風もなく、熱した鍋にサラダ油を入れると、玉ねぎのうちの約半分を一気に入れた。
 途端にじゅっという音がして、鍋の中は玉ねぎで一杯になった。火村はそれを木べらで底の方からかき混ぜていく。
 そうして炒めながら、玉ねぎがしんなりとして、かさが減ってくると、再び玉ねぎを鍋の中に入れていくという事を 何度か繰り返し、ざるの中のものを徐々に減らしていった。
 そして…
 「全部入ってしもうた…」
 玉ねぎは全部鍋の中に収まってしまった。  まさかあの量が本当入るとは思っていなかったアリスは、素直に感心している。
 「だから大丈夫だって言っただろうが。」
 そんなアリスの姿に、火村は口許に楽しそうな笑みを浮かべながら、鍋の中をかき回す。玉ねぎからけっこうな量の 水分が出てはいるのだが、油断をするとすぐ焦げ付いてしまうのだ。
 「アリス。」
 「何や?」
 「そこのマッシュルームを薄切りにして、鍋に入れてくれ。」
 「解った。」
 隣で鍋を覗き込んでいたアリスにそう言うと、火村は薄切りの牛肉を切る事も無く、鍋の中に入れる。
 「切らんでもいいのか?」
 「炒めてりゃ、いい大きさになるよ。」
 そう返しながらも、火村はかき混ぜる手を止めようとはしない。
 アリスは火村の指示どうりに、マッシュルームを薄切りにすると、鍋の中に放り込んだ。
 「そこのトマトの缶詰も入れてくれ。」
 「おう。」
 気分はすっかり料理番組の助手、なアリスは言われたとおりに缶詰の中身を鍋に空ける。
 「水は入れんのか?」
 「その缶に半分入れてくれればいい。」
 「そんだけで足りるのか。」
 「充分だよ。」
 缶に半分程度の水で本当に足りるのか、と思いつつ、アリスは缶の中に水を注ぎ、鍋にいれる。
 火村は全ての材料がきちんと混ざるように、鍋底から大きくかき回すと、火を弱めてローリエの葉を数枚、鍋に放り込んだ。
 「後は弱火で煮ていって、最後にルウを入れるだけだ。」
 「それでええんか?」
 「焦げないように、時々かき混ぜるだけでいい。」
 「けっこう簡単なんやな。」
 これなら、あまり料理が得意ではない自分にも出来そうだ。
 しかし、カレーならともかく、火村はこんな料理を一体どこで習ったのだろう…
 「これ、誰に習ったん?」
 もしかして昔付き合ってた彼女が作ってくれたとか…などと思いつつ、アリスは素直に聞いてみた。
 「あ?」
 その問いに、火村は怪訝そうな顔をする。ちなみに彼の手には、これから炊くための米を入れたジャー釜が握られている。
 「いや、婆ちゃんとか、こういう料理作らんやないか。だから誰に習ったのかなあって思って。」
 「昔、テレビでやってたのを適当にアレンジしただけだ。」
 「何や、昔の彼女じゃないんかい。」
 「ご期待に添えなくて悪いがな、付き合った女の料理が参考になったことは無い。」
 それはいわぬが花というやつではないだろうか…。
 アリスなどは、デートの時に彼女がお弁当を作ってきたりしたらものすごく嬉しかった覚えがあるので、ついそんなことを 考えてしまう。
 もっとも、その彼にしたところで、彼女たちの料理を美味しいと思った事はあまり無かったのだが。
 そういえば自分の付き合った女の子は、ことごとく料理が不得手だったな、などと余計な事まで思い出してしまった。

 そんな風に自分の考えに入ってしまったアリスを火村は放っておく事にし、黙々と米を研ぎ始めた。
 米を研ぎ終わり、炊飯器のスイッチを入れて、火村は再び鍋のところに向かう。
 蓋を開けると、鍋の中はくつくつと音を立てて煮えていた。
 火村は表面に浮かんできたあくをお玉で掬うと、もう一度木べらで鍋の底からかき回して、蓋を閉める。
 後は何回かかき混ぜて、煮あがるのを待つだけだ。
 その頃には米も炊きあがるだろう。
 頭の中でこれからの料理の手順をざっと思い浮かべてから、火村は勝手知ったる冷蔵庫の中からビールを2本取り出す。
 「アリス。」
 「へ?」
 そして、そのうち1本を、未だ考え事から抜け出してないアリスに手渡す。
 「何や?」
 渡されたアリスは、火村の意図が解らずきょとんとしている。
 「出来上がるまでにはまだ間があるからな。ここに突っ立ってる事も無いだろう。」
 ここしばらく忙しくてなかなか会えなかったのだ。せっかくできた時間なら、有効に使いたい。
 「せやな。家の狭い台所で、男2人はむさ苦しすぎる。」
 アリスもようやく火村の意図を理解したのか、にやりと笑いながらそんなことを言い、火村と共にリビングに向かう。
 互いの近況を一通り話し終える頃には、鍋の中もいい具合になっている事だろう。
 久しぶりに会えた上に、予想外に火村の手料理が食べられる事になったことで、アリスは自分の気持ちが妙に浮き立っているな と思っている。

 「そういえば、こないだなあ−−−」
 まだ腰を落ち着けてもいない頃から話し始めたアリスの話に耳を傾けながら、火村はいつになく楽しそうな表情で、 ビールのプルトップに指を掛けた。

end


 

えーっと、お久しぶりの小説です。
書き始めた頃は本当に玉ねぎの季節だったというのに、書き終わった今は、とっくに季節も変わってます……(汗
あはははは…と笑って誤魔化したい。いや、マジで。
ちなみにこの話の中のハヤシライスの作り方は、火村の言うとおり、テレビで作っていたものを適当にアレンジしたものです。
私は別名”玉ねぎ救済メニュー”と呼んでます。
なにせ、父親がやっている家庭菜園(友人、突っ込むなよ)で、毎年けっこうな量の玉ねぎを作るもんですから、 それを使い切るのがけっこう大変なんです。
おかげでこんなレシピになりました。
これ、友人に食べさせた事があるんですが、けっこう好評です。

ところで、これを書いている途中で、某誌で有栖川先生が玉ねぎが嫌いだとおっしゃっていて、うわーっどうしようと 思いましたが、アリスと火村はそうでもなさそうなので、このまま書いちゃいました。
玉ねぎ嫌いな人には嫌がらせ以外の何ものでもないメニューですもんね(笑。

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